梶山航 (Wataru Kajiyama)

✨音楽家・美術家・小説家✨

【生きている実感】

僕は【生きている実感】というものにとてもこだわって生きている。
これがなかなか厄介で、ここに挑まないと、まるで死んでいるかのように生きることになる。
あくまで自分の想像だが、守られた枠の中で生きると、自分という人間が出っ張らず、世界に自分が混ざり、埋もれている感覚になる。
自分が生きている必要性があるのか? という虚しさが押し寄せてくる。自分が埋もれているように感じるのだから無理もない。
世間や生活の流れの中に組み込まれ、本音を隠して生きることも出来るが、その虚しさは死に値するほど辛い。でも死にたくない。たまらなく生きたいのだ。
いつも孤独を感じることが多いが、それは自分という存在を自分自身が遠くに感じているという原因が大きい。
自分がしっかりと出っ張り、その存在を感じられたら、虚しさよりも「自分はここにいる」という手応えが勝り、生きている実感を得られるように思う。
周りの人ばかりを眺め、人を当てにして待っていたり、自分にとって安全で、予想のつくような、退屈な場所で生きるのではなく、自ら新しい場所に行く。または、初めての気持ちになれる事柄に挑戦することが大事だと思う。
例えば、先が見えないほどの沢山の草が茂っていたとして、それを懸命に掻き分けながら進み、先に何があるかわからない、何か予想外のものに出くわすのではないかという恐怖もありつつ、未知なる世界にワクワクもする。誰かが踏み慣らした道ではなく、自分自身が人生の先頭に立ち、踏み込んで行く。そんな生き方、そのような人生の先に、ようやく自分ならではの拓けた世界が現れるのではないか。
そしてそこに「本心」と言う名の自分自身が立っていているのではないか。
自分と出会い、自分という存在、自分という人間をようやく認識し、これが自分、確かに自分はここにいる。今ここに生きていると実感することが出来るのではないか。
自分が自分の存在を感じられれば、自分のことがわからないだとか、自分がどこにもいないような不安や、生きている実感が湧かないといったことから解放され、強烈な孤独感からも解放されるのではないかと思う。
孤独は何よりもまず、自分自身が自分と寄り添っていないことが原因ではないか。自分から目をそらし、自分が自分から離れているから寂しいのではないか。自分を認識するべきなのは、他でもなく自分自身なのだ。
そのためには内側にいる隠れた自分、つまり本心が飛び出す必要がある。
だが、良いと思える自分でなければ自信が湧かず、胸の奥に引っ込めてしまう。
だからこそ、人生の中で自分を磨くことは大切で、外に出しても良いと思える自分を目指し、学び、成長して初めて自分らしさに気付き、自信を持って堂々と自分を外に出せるのだと思う。
生きている実感を日頃強く求めている人は、自分が何をしたいのか? どうしたいのか? 何を思っているのか? という本音と向き合い、自ら積極的に行動し、守られた殻を破り、精神的な脱出をし、自分の「未知なる目の前」に対して挑むことが必要である。
その先にはきっと、ぼやけずハッキリと存在する自分が、鋭く出っ張り立っているのだろう。
僕は常日頃、その姿をイメージしている。
引っ込めて隠している自分は胸の中にいる。
それを救い出す。つまり心の救済をすることで、隠れ続けた自分が日の目を見ることが出来るだろう。
そして、日の目を見るために進んでいけば、日々人間として成長し続けられると確信している。
「本当に出会いたい自分像」は、懸命に立ち向かうその先に立っているのだから。
つまり、【生きている実感を得るためには、自分の本心と向き合い、本当に望む自分自身と出会うこと】だと考えている。

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